2018.01.01

 現在、休業しているビラオスキー場は、昭和30年代の子どもたちの間では 「北斜面」で通用していました。

 記録によると、1947(昭和22)年 2月に北海道新聞社と釧路スキー連盟の共催で、第1回美羅尾山大回転競技大会が開催されています。1949 (昭和24) 年に国設美羅尾スキー場となり、弟子屈観光協会がヒュッテを作りました。その後、1972(昭和47)年にはリフトが設置されて、スキー場の整備が進みました。

 昭和30年代の子どもたちは、大人たちがスキー競技会をする急斜面のゲレンデでスキーをしたい、そこを滑ったことを友だちに自慢したい一心で、重たいスキー道具を肩に、ナップザックにおにぎりと水筒を入れて背中に背負って、弟子屈市街から歩いて行きました。

 朝早くから、日が美羅尾山の陰に入るまで、急な斜面を自力で登って滑り降りる爽快さに、帰り道のつらいことも考えずに楽しみました。

てしかが郷土研究会(松橋)