2018.01.01

 昭和30年代後半ころまでの弟子屈では、暖房に石油を使う家庭はほとんどなく、どこの家に行ってもストーブの燃料は、安くて手に入りやすい薪や石炭かオガクズでした。福寿草が咲いて雪解けが終わると、夏から秋にかけて冬の暖房の準備が始まります。

 薪を作るには、丸太をストーブの大きさに合わせた長さに切らなくてはなりません。このとき、現場まで発動機と丸ノコを取り付けた薪切り台を移動させ、丸太を切っていきます。人間がのこぎりで切る数十倍の速さで、労力が軽減されました。この作業をなりわいにしている人たちもいました。しかし、機械ができるのはここまでで、まさかりで小割りにして積み上げたり、倉庫に保管したりするのは人間の手でした。旅館やホテルでは、敷地いっぱい、塀代わりになるくらいに薪を積み上げているところもありました。

 薪や石炭などを燃料にするストーブは火力が強く暖かいのですが、燃えかすの始末や、煙突に付くすすを取る煙突掃除が手間となっていました。時代が進み、また手に入りやすくなってきたこともあって、手間の少ない石油ストーブへと替わっていきます。現在では、鋳物製の高級な薪ストーブで暖をとることがぜいたくなことの一つになっています。

てしかが郷土研究会(松橋)