2018.01.01

 この地に先住していたアイヌの人たちの独自の言語であるアイヌ語には、文字がありません。そのため、文献として残されているものは和人(アイヌ以外の日本人)の出入りが始まってからということになります。

 1949(昭和24)年に発行された弟子屈町史によると、現在のわが町域に関する最も古い記述は「東蝦夷夜話(とうかいやわ)」とみられています。1856年から3年間、医者としてアツケシ(厚岸)に赴任した大内餘庵(本名・大内桐斎)が、在任期間中に見聞きした話をまとめたものです。その中で「メンカクシという男性がマシウという高山の頂にて大熊と戦った。手負いとなった熊は吠え狂い、遥か下にあるカムイトウへ転がり落ちた」という内容が記されているのです。その2年後には松浦武四郎が実際にこの地を歩いた詳細な文章が残っているので、いずれにしてもこのころの記録が、多くの人たちにカムイノホリ(アイヌ語で「神の山」=摩周岳)やカムイトウ(同じく「神の湖」=摩周湖)の存在を知らしめた第1報といえそうです。

 人間など寄せ付けない、圧倒的な自然を従えた山奥でひっそりと時を刻んできたカムイの領域が、世に知れ渡ってから160年。多くの文学作品に登場することからも分かるように、その魅力は色あせるどころか、ますます輝きを増しています。私たち町民は、過去から預かり未来へ受け継くべき大切な宝物を託されているのです。

てしかが郷土研究会(斎藤)