2018.01.01

 『弟子屈町史』によると鐺別温泉は「明治17(1884)年ころ氏名不詳の人がいたと伝えられ…アイヌが湯治をしていたことから、かなり以前からささやかな草小屋があったらしい…」とあります。

 『弟子屈町商工のあゆみ』では、1914(大正3)年に青木旅館(青木元右衛門)・1937(昭和12)年に桜花園(横田盛成)・1940(昭和15)年に同(黒川春吉)・ 1944(昭和19)年に釧路鉄道管理局弟子屈保養所厚生寮と移り代わっていきます。

 写真は戦前ころの鐺別温泉で、道路は今の道道釧路鶴居弟子屈線です。この道と交差して鐺別川にそそぐ紅葉川があり、その流れにそって桜花園の池がありました。浴室からは池と浴槽が一つになった風景を見ることができたことでしょう。

 1965(昭和40)年ころまでは、桜ヶ丘公園の崖の隙間から温泉がしみ出して紅葉川に流れ込んでいました。そのため岩盤の周りが暖かいので、ヘビたちの絶好のすみかにもなっていました。

てしかが郷土研究会(松橋)