2018.01.01

 弟子屈町の商工観光に携わるものとして30年以上が経ちますが、今回は先輩たちが残してくれた弟子屈商工会法制化20周年記念誌を参考に、弟子屈の商工観光の歴史を振り返り、町の歴史にも触れていきます。記念誌が発行されたのは1981(昭和56)年1月ですが、今回は1975(昭和50)年ころから1981年ころまでをたどってみます。

 記念誌を開くと懐かしいことばかりですが、今から39年前の1974(昭和49)年に、最初の釧路川の河川改修工事が始まりました。当時は、蚊もいなくなり、きれいになったと喜んでいたそうです。生活を守る観点からの工事でしたが、時代が変わり、親水性を大切にする現在の視点から見ると、新たな工法などが求められていると思います。

 1976(昭和51)年には、残念なことですが弟子町役場庁舎が全焼しました。一方、弟子屈町民憲章が制定され、新たな時代を予感させる年でもありました。観光面では硫黄山休憩舎の改築、川湯商工観光指導センターができ商工会川湯支所の入所などがあります。

 翌1977(昭和52)年は、弟子屈町役場庁舎(現在の建物)の新築落成、商工会関係では、湯の島商店街や新栄商店街が発足し、商店が全盛期を迎えます。摩周湖農協ビルも新築され、当地の大型店として現在に至りますが、駐車場には観覧車のある遊園地もあったことが懐かしく思い出されます。

 1979(昭和54)年には、摩周湖第1展望台休憩舎の改築、弟子屈欧羅巴(ヨーロッパ)民芸館(現在の道の駅摩周温泉)が開業しています。また、ホテル丸米が新築。翌年の1980(昭和55)年には、ホテルニュー子宝や摩周パークホテルが新築され、観光地としての近代化もこの時期から始まりました。観光客入り込み数を見ると360万人を超え、宿泊数も川湯温泉においては阿寒湖畔温泉を4万人以上上回り58万人台と過去最高を記録した観光全盛期でもあり、今では想像できないほどの活況を呈していたのです。

 私も当時は高校生で、摩周温泉の湯の島や6〜7町内の道路の側溝から湯煙が上がり、商工会の所からは間欠泉が出ていたり、生バンドの演奏の音が聞こえたりして、浴衣姿の観光客が大勢で夜の町を散歩していた良き観光地としての時代が思い出されます。

 次回の商工観光の歩みは、1965(昭和40)〜1975年ころを予定しています。

てしかが郷土研究会(平塚)