2018.01.01

 明治・大正・昭和・平成の長ーい時を、この地で懸命に生きています。1906(明治39)年に始まった屈斜路簡易教育所。私たちも創成期のころで、子どもたちと一緒に育ちました。

 「おはよう」「さよなら」「また明日」…とみんなで声をかけていました。もちろん子どもたちには聞こえませんでしたが、本当ですよ!!

 大正に入ると、大山神を祀る社も建てられ、コタンの中心を担う大切な場所となりました。大人や子どもたちが集う祭りや、花の下で歌い踊る春の行事が行われ、私たちも楽しく参加していました。

 若き更科源蔵さんが代用教員として赴任してきたのが1930(昭和5)年。ほぼ1年間、目を輝かせて子どもたちと交流していた姿は、私たちの心にしっかり刻まれています。100年以上を経て、今の私たちは老年期。わが町で一番古い桜になったようですが、今、見る冬の立ち姿には心が痛みます。幹には亀裂が入り、折れた枝の跡が多く目立ち、朽ちる時の接近をみんな自覚しているようです。

 幸いにも、足元の熊笹に隠されていた私たちの実生苗を見つけてくれ、別の場所で育ててくれていますので、私たちも安心して1年1年に命を懸けることができます。湖の氷が開け、森が芽吹き、豊潤な春の訪れが今年もやってきました。間もなく満開!!私たちが全霊を注いだ仕事です。

※1911(明治44)年に撮影された人物集合写真以外の建物と桜の立ち位置は、筆者が想像で描きました。

てしかが郷土研究会(充洋)