2018.01.01

 蔵にはいろいろな電話機が展示されていますが、この電話機にはどこを見てもボタンらしきものがなく、ずっしりと重く存在感があります。当時はどのような使い方をされていたのか、思い返してみました。

 電話機は、家に備え付け型の有線電話が主流で、家と外をつなぐ唯一の手段でした。電話機にはハンドルのようなものが付いていて、ぐるぐる回すとNTT の前身である電信電話公社の交換手が出ます。先方の電話番号を伝えると、交換手が相手につなぐというものでした。中継する回線が少なく順番待ちのため、遠方とつなげるにはいったん受話器を置き、先方とつながった時点で交換手から折り返しかかってきて通話をしました。何ともゆったりとした話です。

 今は携帯電話が主流になりました。「スマホ」といわれるスマートフォンは、通話はもちろん、データ通信でインターネットにつながり、お財布のように支払いも可能、カメラも付いて、GPSで位置情報まで分かるなど、個人的でネットワーク化された時代になりました。

 弟子屈の電話局も窓口がなくなり無人化され、1995年から建物は図書館として利用されています。図書館以外の建物内部は無人で、交換手に代わり電子交換機が設置され、遠隔地からコントロールしています。ゆるやかな人の香りのする時代からパーソナルで高度情報化した社会になりました。

 弟子屈は、土のにおいのする時間から生み出される産業も、機械化と大規模化を進めてきました。自然を見て楽しむ産業も高付加価値を追求しています。産業は時代に乗り、日々進歩してきました。ものすごいスピードで変化する社会と、自然が変化していく時間が乖離(かいり)していくように感じます。黒い電話機のあったゆるやかな時代が懐かしくもあり、当時の価値観を尊重した生活は大切であると考えています。

てしかが郷土研究会(藤江)