2018.01.01

 北海道開拓においては、木の伐採や抜根、農作物などの運搬や人びとの移動にと、まさに人馬一体で活躍しました。

 荷物などを運ぶ荷車は、木の輪に鉄板でできた金輪をかぶせて補強した車輪でした。荷車は地面と接する車輪の幅がせまく、重い荷物を引かせると土砂道や砂利道を傷めることがありました。

 自動車の時代が来つつあったころから、自動車のゴムタイヤを利用した「保道車」が現れます。地面から来る振動をタイヤが吸収してくれ、道路の傷みも少なく、荷車を引く馬も以前の金輪とは違って助かったことでしょう。昭和30年代後半ころまで弟子屈の街の道路では、ごく音通に自動車と一緒 に保道車が仕事をしていました。写真は、摩周湖へ向かう道路の釧路開拓実習場付近と思われ、実習生が牛乳を詰めた集乳缶を運んでいる様子です。

 冬には荷車からソリに替わるのでしたが、馬が落とすものは変わりませんでした。

てしかが郷土研究会(松橋)