2018.01.01

釧路川上流から旧弟子屈橋を見る。岩盤〈簗〉の上を流れ落ちる釧路川⇒この付近の川岸に温泉が湧き、洗濯場になっていて付近の人たちは「カラスの湯」と呼んでいた。

 

弟子屈橋付近のアイヌ語地名

『弟子屈町史(1949(昭和24)年刊・更科源蔵編)』の「弟子屈地名調」では、弟子屈橋付近から栄橋付近のアイヌ語地名を上流から

タッタルケー大石があって波の立つところ(グランドホテル付近の釧路川の急流)

(筆者注:ホテルニュー子宝付近から弟子屈橋上流)

ヌナヨローヌ(温泉)ナヨロ(オイ・オロ=谷川)

(筆者注:地名の場所は不明。しかし、右岸沿いのタッタルケのところに温泉の湧くところがあり、洗濯場があった)

テシカガーテシカ(岩盤)ガ(上)〈共同浴場付近の古川の川床〉

(筆者注:旧摩周パークホテル裏。下線は筆者)

シュマフッカーシュマ(石)フッカ(浅瀬)〈今泉氏の裏にあった古川の浅瀬〉

(筆者注:現在の釧路信用金庫弟子屈支店の裏。下線は筆者)

と解説しています。

 

「むかしむか史49号(永田等者)」では「テシ(簗)・カ・カ(上または岸)」と訳され、厚い岩盤が川床を持ち上げて、自然地形のまま簗をつくり出していたこ とから、テシと当てられたようです。カカと続けて呼称している意味は「岩盤」がいくつも重なって向こう岸まで横切っていることから…」と推定しています。

 写真は、アイヌ語地名の「タッタルケ」付近と思われ、このような岩盤が簗のようになって「シュマフッカ」まで続いていました。その途中の「テシ・カ・ガ」のアシの生い茂った湿地に温泉の湧くところがあり、1883(明治16)年、本山七右衛門が温泉宿(本山旅館)を建て、やがて弟子屈市街地が形成されていったのです。

※簗:魚をとるための漁具・仕掛け

てしかが郷土研究会(松橋)