2018.01.01

 弟子屈開拓も北海道内陸部開拓と同じように、豊富にあった森林資源を産業にすることでした。1897(明治30)年に帝室林野局札幌支所川上出張所が設置され、1900(明治33)年に御料林の払い下げがされましたが、産業とまではなりませんでした。本格的な林業となったのは、釧路に製紙工場ができ、釧路地方の石炭採掘が盛んになってきた大正時代に入ってからでした。

 冬の造材は雪が味方し、夏の間入ることができなかった山奥にも入ることが できます。この冬山造材で活躍するのが「バチソリ」です。

 丸太を馬が運べるところまで切り出し、丸太の前の方にバチソリ(単に「バチ」 とも言う)を付け、後ろを雪の斜面と摩擦させてブレーキ代わりにします。平坦 になったところでは、後ろにもバチソリを付けます。これを「バチバチ」と言っていました。写真は丸太にバチバチを付けて山奥から一時集積する土場まで、馬とカを合わせて運び出しているところです。

 冬の間、開墾や農作業ができない開拓者にとって造材は、馬と一緒になって働くことができ、越冬準備や春を迎えるための現金収入を得ることができる仕事でした。

てしかが郷土研究会(松橋)