2018.01.01

 教育勅語(ちょくご)は、1890(明治23)年10月 30日に大日本を国憲法の下、忠君愛国・天皇制の精神的・道徳的な規範として、明治天皇の名前で発表されました。14の徳目が示され、式典などで校長が朗読し、学校教育に取り入れられました。その教育勅語と天皇、皇后の真影を納めていた建物が奉安殿です。国民学校の敷地内に建てられ、太平洋戦争が激しくなってくると、登下校時に本安殿の前を通るときには最敬礼することとされていました。

 太洋戦争敗戦後の1946(昭和21)年、連合国最高司令官総司令郡(GHQ)が教育勅語の神聖な取り扱いを禁止しました。1948(昭和23)年には、新しくなる公布された日本国憲法の国民主権、平和主義、象徴天皇制などの考え方にそぐわな いことから、衆・参議院で排除や失効確認の決議がされます。全国各地では、奉安殿の取り壊しや焼却が行われたり、物置代わりに使われるのもありました。

 写真の奉安殿は、1948年以降には仁多地区の社として使われていたもので、 弟子屈町内にはほかに2つあることを確認しています。

 教育勅語の解釈には賛否両論あります。日本が歩んできた不幸で悲しい歴史の事実を、良いも悪いもこの奉安殿は語ります。

てしかが郷土研究会(松橋)