2018.01.01

No.38

マッチ箱

 硫黄山で採れた硫黄の加工品の一つに火薬があり、その火薬を利用したものにマッチがあります。マッチは火薬を木の軸につけ、火薬とマッチ箱の横についている薬品を摩擦することで火がつく便利なものです。

 弟子屈には、マッチの軸を作る製材所が1894(明治27)年から1898(明治31) 年ころまで、池の湯付近にありました。明光社といって標茶に工場がありましたが、軸の原材料となる木材(白楊)を馬や流送で運ぶよりも、足踏み式の簡単な機械を現地に持ち込んで製材する方が経済的なことからでした。川湯温泉の草分けとなった浅野清次氏は、この造材のために屈斜路に入りました。

 マッチを入れる箱は、商品や店名などを印刷して宣伝に利用され、印象に残るデザインを競っていました。写真は、1960〜80年代(昭和30年代後半〜50年代)の弟子屈の商店や旅館、飲食店のものです。しかし時代が下ると、安価なガスライターやガスコンロの自動着火装置などにとって変わられ、今ではあまり見かけなくなりました。

 見覚えのあるマッチ箱はありませんか?

てしかが郷土研究会(松橋)