2018.01.01

 昭和7年に釧路川水力発電株式会社が設立されて、弟子屈と川湯地区市街地に電灯がともりましたが、周辺の開拓部落の灯りはランプでした。

 「電気がほしい!」という思いは切実なものがありました。昭和25年に道費の助成と部落民の出資で仁多と美留和の石狩別に水カを利用した自家用小発電施設ができました。

 仁多では藤本信義氏が代表となり、約500メートルの水路を掘り落差を利用して水力タービンを回して発電出力10キロワットの電気を丸太に鉄の電線で送電しました。大雨による水路の決壊や泥よけ、風で倒れた電柱の修理は受益者の部落民で行い、お祭り騒ぎだったとのことです。電燈がともって一番喜んだのは手が小さいことから煤で汚れたランプの火屋磨きを毎日させられていた子どもたちではなかったでしょうか。

 これとは別に鈴木巳之助氏を組合長として開拓部落の電化を進めていた弟子屈町電力利用農業協同組合に所管される昭和39年までの間、仁多地区に電燈をともしていました。

てしかが郷土研究会(松橋)