2018.01.01

 昭和の時代に入ると、自動車による人々の往来が多くなりました。昭和3年、屈斜路湖では遊覧船が就航しました。これ以前にもトー廻しの船にエンジンを付けて屈斜路湖を遊覧していましたが、釧網線が開通する前で観光客も少なく結局筏の曳き船に利用されていました。その後昭和4年に鉄道が開通すると訪れる人々も多くなりましたが、大東亜戦争で中止することになります。

 時代が落ち着き始めた昭和30年、和琴を乗船場に遊覧船は復活し、風景を楽しむ観光客が訪れましたが、昭和42年採算があわないことからこれまた休止しました。その後観光会社が運行を試み、現在は池の湯から遊覧船が運行しています。

 昭和9年に阿寒国立公園として指定される前後は政府高官や宮家の来訪が多く、梨本宮殿下が阿寒を訪れたときは和琴から乗船し、阿寒国立公園指定の“三恩人の”一人、当時釧路営林区長近藤直人が案内をしています。

 近藤直人は、自著『阿寒国立公園候補地巡り』(昭和6年7月16日から8月1日まで釧路新聞に12回連載)で、「屈斜路湖は晴天といえども午後は風波あるにより、(夏期は南風多し)是非湖上を周遊せんとせば、和琴より仁伏に至るを便とす。船は常に仁伏又はポント繁船しあるにより、特に和琴に廻し置かざらず。」と屈斜路湖周遊を案内しています。

てしかが郷土研究会(松橋)